今朝のおばあちゃん(記・4/27)
同じ敷地に(住宅は違う)住んでいるおばあちゃんは、数年前から認知症気味で、段々と、できること、というか、今までなら自発的にやることができていたことができなくなりました。
敷地内でやっていた美容院を閉じました。
料理をしなくなって、仏壇のお菓子や果物でご飯としてしまいます。
親戚の名前は出てきません。
その他、たくさん(大学受験などあったため介護をしているお母さんしかよく知らない、よく覚えていないことが多いと思う)
私が、本格的?におばあちゃんの見回りに参加するようになったのは、2017年夏。
お母さんのお父さんが海外旅行中に骨折し、お母さんはお祖父ちゃんのお迎えに行ってしまいました。
お父さん、おばあちゃん、私。
幸運にも夏季休暇中だった私が、Lineでお母さんからの指示を受け、遠隔操作されます。
おばあちゃんを起こす、着替えさせる、雨戸を開ける、やかんを沸かす、神仏のお茶を入れる、デイサービスの用意をする……etc
何十年何百年前から建っているのかわからない木造平屋に一人で暮らすおばあちゃんの家は、一番近くて一番良く知らない家でした。
夏から日も経ち、2限の日は(起きられれば)私も見回りに行くようになりました。
今日もそうでした。玄関を開けて茶の間にあがれば、薄いトップスと股引を着てこたつに包まっているおばあちゃん。
上着を着てもらって、朝ごはんを温めて、お茶を出した時の一言。
「あたしの人生はどうなっちゃったんだろうね」
おばあちゃんは認知症ですが、不幸中の幸いと言いますか、短期記憶が消えてしまうという状況は認識しており、それもあって、暴力的になることはありません。
そんな状態だけに、この言葉は、わたしにとても重くのしかかったのでした。