Don’t be evil(邪悪になるな)
言わずと知れたGoogleの社是である。
しばらく前の段階ですでに表の文章から消えていたことは知っていたが、
によればそもそも非公式なものであり、かつ、今でもGoogleの中心を貫く考え方の一つであるようだ。
なお、ここではGoogle自身が邪悪と化したと言われることについては言及を控える。
私はこの標語が好きだ。
evilという単語をこれで知ったといってもいい。
善と悪は対義語かもしれない。
しかし、「善を為せ」と、「邪悪になるな」は違う。
善を為すのももちろん大事だけれど、邪悪から離れること、邪悪と化すのを忌むことのほうが、なんだか輪郭がはっきり見える。
趣味が合うひとより、嫌いなことが合うひとのほうがうまくいく、みたいなことですかね。知らんけど。
(人間、ヤなことのほうがはっきり選択できるみたいな感じの現象、名前付いてそうだな…)
創造的で革命的なことは、ときに既存の枠組みの中で暮らす人々の平穏を壊すことがあろうと想像するんですが、そんな挑戦者の傍らにこんな言葉があるのだとしたら、なんか勇気づけられるのかなと思ったりして。
兎角、何が言いたいかというと、私は私が考えるヤな人のことを、evilの翻訳として、邪悪人間と呼ぶ。だってまあ、イーヴォゥっていっても伝わらないしさ。
その邪悪というワーディングに対して、知人らが若干引いていたような気がするのだが、別に私はそんなに茶化してるわけじゃないし、彼らを魔王みたいに誇張して言いたいわけではない。
でもやっぱり、人を邪魔したり、人にキツいことを言って憚らなかったり、みんなの前でそんな振る舞いをすることで別の人間を萎縮させたりするような人間は、どう考えてもevilだと思うんです。早く絶滅してほしい。
いやあ、でもまあ、まずは人の振り見て我が振り直せ、私自身が邪悪に染まらないよう、ご期待ください。